自己犠牲を科学的に考察する

長年の疑問でした。ドーキンスの「利己的な遺伝子説」によれば、動物は自分のDNAを残す最善の形質を培って進化しているので、自分を犠牲にしてチームに貢献したり他人に協力する利他的な行動は自分としてはどうしても理解できない大きな謎だったのです。
しかし、現実として自分を犠牲にして人を助けたり、協力し合ったりという美談には人間社会は事欠かないのも事実です(残念ながら、先日のイタリアの客船の船長のような人もいますが)。

最近まで、それこそが神(ちなみに私は特に何かの宗教を信じているわけではありませんが)が人に与えた試練であり、それを習得していくのが人生だと自分なりに「超自然的」な視点で答えを見つけたつもりでした。しかし・・・

最近になって、なんとなく科学的な意味合いからも人がなぜ利他的な行動をするのかが判ってきたような気がします。人間はもともと集団で行動する猿から進化した社会的な動物なので、社会生活の中で利己的な遺伝子が活躍する結果として、利他的になるのではないでしょうか。
つまり、利他的な行動によって自分も他から報いられ同様に協力を得やすくなり、結果として生き延び、子孫を残すチャンスが増え、この利他的な形質が継承され強調されるのではないでしょうか。

このように分析してみると結局は遺伝子が生き残ろうとして利他的な行動を生み出しているという無味乾燥的なことになってしまいます。多分、これはこれで一つの答えなのでしょうが、やはり協力や利他行動が修行なのだと自分を律していくほうが美しいと感じてしまいます。こう感じさせるのも利己的な遺伝子だとしたら・・・。う~ん、ややこしい。

(この記事は、過去に配信されたリンコム通信のバックナンバーです)2012/02/06

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