私の究極の株式会社

かねてから疑念を抱いていたことがあります。それは、株式会社と株主の関係は(特に公開会社の場合ですが)このままで本当に良いのかということです。リンコムを起業する前私はアメリカ資本の株式会社にいました。株主が求める株価の上昇は必ずしも会社の長期的な成長のための戦略と相容れないことが多く、忸怩たる思いを何度も経験しました。

資本主義の仕組みのもとでは、株主は会社のオーナーであり経営者や社員は彼らに利益をもたらす道具にすぎないのですから、表立って反旗を翻すことはできず、下手をすれば経営者の首を取り換えられておしまいなのは仕方がないことです。しかし、このことがどれだけ人類の進歩にとって足枷となっていることか。

かつて、株式会社の仕組みが世の中に登場した何百年か前、株式会社は人類の進歩に大いに貢献しました。事業家が投資家をつのり、資金を集めて広大な土地を買い高価な設備を整え、大規模な生産を行うことでコストは下がり、雇用を生み人々の生活は豊かになりました。莫大な利益を事業は生み、それを投資家に還元するという極めて効率的なループができていたのです。これは事業家個人の力ではできないことでした。

しかし、時代は下り、投資家はデイトレーダーや年金母体などに分散し、長期的な利益よりもその日の株価を追い求めるようになりました。また、かつては事業そのものがシンプルで投資家にもわかりやすかったものが、今ではどんな事業も非常に複雑になり、その道の専門家、つまりは経営者でなければ正しい判断が下せない世の中になってきました。このことが、経営者が長期的な視点で考え抜いた事業戦略より、コストを下げ見かけの利益を大きくして株価を押し上げるような戦術を株主が求めるようになった背景にあります。

企業の役目がイノベーションによって人類の文明を進化させることだとしたら、このような会社と株主の齟齬はまったく不幸なことだとしかいえません。長期的な視野に立った戦略こそがイノベーションをもたらすからです。

非上場会社が高い競争力を保っている例はよくありますが、安定した株主たちとの関係性において上に述べたようなムダを排除しているからだとも言えます。しかし、必ずしも創業家や安定株主と会社の利益が一致しない場合もあり、そのような場合はやはり難しい場合もあります。このような事例も最近よく新聞紙面をにぎわしますね。

私の考える究極の株式会社は社員が株主の会社です。社員が生きがいのある仕事を安定的に求めるとしたら、両社の利害はほぼ100%一致するため上述のような問題は解消されるでしょう。どのような株主組織を社員が構成し、どのように利益を分配するのか、またどのように優秀な経営者を継続的に輩出するのかなどの仕組みづくりは前人未到の分野です。専門家を交えて青写真を描き始めましたが、これが私のライフワークとなります。これも一つのイノベーションとして人類の進歩に貢献出来たら本望です。

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