田中角栄の時代に思う

日経産業新聞の金曜版に田中角栄元総理の秘書官を勤めた小長秘書官の回想録が連載されています。この時代に日本を牽引していった田中角栄をはじめとした政財界のリーダーたちの偉大さにあらためて感慨深いものを感じながら読んでいます。リーダーに限らず1970年代から1980年代にかけてのサラリーマンたちはすごかった。大戦後の焼け野原から産業を興しJapan as NO1とまで世界に言わしめた人たちです。

残念ながら、すべてではないにしろ、その後に続く世代の人たちは本当にしょっぱかった。30年にわたる日本の低迷の原因をつくってきた人たちです。年で言えば現在50台から60台の方々で、私も年齢だけみればその世代の中心にいます。この世代とかつての日本牽引世代との根本的な違いは、こうなりたい。こうしたい。という大所から捉えたビジョンのあるなしと、リスクをとってでも成し遂げる情熱だと思います。

おそらく、先輩たちの成功体験を間近でみていた世代は自分もその後を継ぐんだという崇高さよりも、より安易で安全な方向へと堕落していったのでしょう。私の知人たちにも大きな会社の中での保身の力学にだけ長けた、そしてたからこそビジネスは低リスクな方向へと縮小し、良心や矜持とはかけはなれた価値観に堕落しながら、社会に迷惑をかけていった人たちが少なからずいます。

若い世代の人たちよ。もうこんな時代は過去のものとおき去っていきましょう。大きな会社でも小さな会社でも、自分の生きた足跡を人類の文明に刻んでいこう。名前なんか残らなくてもいい。今、オフィスを見渡せばありとあらゆる人工物に囲まれています。机、ティッシュペーパー、窓枠。。。これらすべてのものは名も知れない過去のだれかが作ってきたものです。

若い世代の人たちよ。あなたの成し遂げたことは人類の歴史に刻み込まれます。

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